【新説】ハンバーグのルーツは横浜にあり!! ④

日本のハンバーグのルーツはフランス料理だ!

いずれにしても、ハンバーグのルーツは西洋料理、つまりはフランス料理が原型であったのではないか?ということは推測できる。
幕末の開港による外国人居留地の開設が、西洋料理の発展に深いかかわりがあることは確かである。特に規模の大きかった横浜の居留地には、欧米5ヶ国の公使やそれに伴った商人が多く移り住み、様々な文明開化をもたらした。欧米人による欧米人のためのホテルやレストランが開設され、そこで供される料理は、そのほとんどがフランス式の西洋料理だったという。そして明治政府の公式晩餐や帝国陸海軍の食事にもフランス式の西洋料理を取り入れ、日本では西洋料理といえばフランス式の料理を指すようになる。19世紀にはフランスにハンブルグステーキというレシピがあったのだから、常磐西洋料理にも赤堀割烹教場にも「ハンブルグステーキ」というレシピ名が登場していてもなんら不思議はない。

▼西洋式ホテルの登場

ここで、立ち止まり、日本の西洋料理について知ることが必要であろう。
横浜居留地が設置された1859年(安政6年)から1899年(明治32年)の間に、居留地に開設された外国人のためのホテルは130にも及ぶという。もちろん改名したり消滅したものも含まれ、中には下宿もどきの素泊まり施設もあったようなので、大きく見積もるのは危険だが、かなりの数のホテルがあったことは確かであり、そこにレストランやクラブ、カフェが存在し、多くの人材がいたはずである。とはいっても、開港当初は、各国の公使や商人に随行してきた人材がほとんどで、日本人は少なかったと思われる。また、中国に寄港してから来日してくる関係で、各国商人などは日本人との仲介役や、使用人やコックとして中国人を連れ立っており、1867名年には660余人もの中国人が居留地に住み、すてに欧米人を上回っていたという。それがそのまま横浜中華街になっていったのである。居留地のホテルやレストランは、外国人による外国人のための施設だったのであり、日本人の食文化には直接影響はなったと思われる。しかし、彼らのつくる料理は、それまで肉食禁忌だった日本人のつくる料理とは明らかに別物で、本場西洋式のレシピも導入され、それに触れた日本人の料理人などもいたことは想像できる。

日本で最初のホテルは1860年(万延元年)に横浜居留地にできた 横浜ホテル / フフナーゲルホテル)である (参照:横浜外国人居留地ホテル史  敬愛大学学術叢書 沢護 著) 。本格的なホテルは、1868年(慶応4年)に築地居留地に開業した築地ホテル館。フランス人料理長ルイ・ベギューによる日本初となるレストラン(フランス料理店)がオープンする。そして1870年(明治3年)に大型ホテル「グランドホテル」が横浜居留地に創業 。 73年の新装の際、料理長に築地ホテル館のルイ・ベギューを招聘し、日本を代表するホテルとなる。そして居留地の大型ホテルにも日本人が働き出し、その後、優秀な日本人洋食料理人を多く輩出することになる。グランドホテルからは、後の「帝国ホテル」総料理長、「ホテルニューオータニ」の総料理長など、明治大正を彩る、名だたる洋食店の料理人が、グランドホテルから巣立っていった。

▼レストラン、西洋料理店の開業

横浜開港資料館によると、1862年(文久2年)に横浜居留地に開業したゴールデン・ゲイト・レストランが記録上の最初のレストランとある。1863年に長崎にて草野丈吉が開業した良林亭を、日本で最初の西洋料理店という説があるが、いわゆる、フランス料理をベースにしていたわけでもなく、独自のスタイルで西洋料理と名乗っていたようだ。
日本人では1869年(明治2年)に長崎県から大野谷蔵が、西洋割烹を開業している。そして1872年(明治5年)には築地精養軒ホテルが開業し、西洋料理が皇室、貴族、政界、財界などに広まっていく。そして明治・大正・昭和と西洋料理人の重鎮を排出することになる。(その屋号は上野精養軒として現存している)

カフェと銘打った店は1864年にアリエ・カフェ、グラン・カフェ・デュ・ジャポン、ヴィクトリア・コーヒー・ハウスが横浜居留地に開業している。コーヒーは横浜開港当初から日本に入ってきていた。(参照:横浜もののはじめ考 横浜開港資料館)

以上の通り、開国後は西洋料理が急速に広まり、それらに丁稚や見習いとして日本人が入り込んでいく。その中から、前述したが、日本の西洋料理の礎となる日本人の名料理人が排出される。

この時代の西洋料理、フランス料理は特定の階級のための、饗応料理であり、大皿料理であり、コース料理でもあった。当時は今のようなハンバーグステーキだけの単品メニューはなく、定食スタイルもない。そのように洋食が楽しめるようになるのは、グリルというアラカルトスタイルで食べられるレストランが登場してからである。
そして、ドミグラスソースがフランス料理に登場するのは本国フランスでも19世紀後半と言われているので、開港当時の日本のフランス料理(西洋料理)にはドミグラスソースがまだなかったとみて良いだろ。故に開港後にできた、財閥系や政府系の、西洋料理店などで日本のハンバーグステーキはまだ存在していなかったとみてよい。

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