【新説】ハンバーグのルーツは横浜にあり!! ➁
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タルタルステーキはハンバーグのルーツにあらず
ところで、ウキペディアなどには、ハンバーグの原型は、18世紀ごろのドイツ・ハンブルグでの「タルタルステーキ」というのが定説になっていますが、これは大きな誤りだということが、前回の記事で判明してしまった。なぜならばフリカデレは15世紀には、もうすでにドイツに存在していたのだから。
そもそもタルタルステーキは、 フランス料理のレシピ「steak tartare」のことで、 19世紀から20世紀初頭にかけての人気のフランス料理のレシピ “à la tartare” or “served with tartar sauce” を略して「steak tartare」と呼んだものだ。タタール人やタタール地方を表す tartare はフランス語で、異国という意味や野蛮という意味ももつそうです。一説にはタタール人(モンゴル人)の家畜の馬を生で食べる風習が、モンゴル帝国全盛時に、ヨーロッパの地に伝わったとあります。ようするに、生肉を成形料理したものを焼かずにそのまま食べることを、”異国風のステーキ”とフランス料理で呼んだに過ぎず、現にタルタルステーキはタタール料理と関係がないというのがフランスでの定説です。ちなみに、タルタルソースももちろんタタール料理ではありません。何より、ヨーロッパにタルタルステーキという料理が出現する前から、フリカデレはドイツに存在していたし、フランクフルトソーセージのように、肉を刻んで調理するというのは、モンゴル帝国時代にヨーロッパに生肉食が伝わったとされる時代より、さらに前の中世にはに、ドイツ人は肉類を刻んで普通に調理していたのですから、ハンバーグ(フリカデレ)のルーツがタルタルステーキと無関係というのは、推して知るべしである。
ハンバーガーのルーツもフリカデレ
19世紀半ばから20世紀前半にかけて、アメリカ大陸に向けてドイツから1000万人を超える移民が旅立という。その玄関口の一つがハンブルクであった。当然、フリカデレもアメリカに伝わり、フリカデレはハンブルグのステーキということで、文字通りにHamburg Steakと呼ばれた。1870年代にはニューヨークに、ドイツ人が経営する店で「ハンバーグ」というメニューが出現したそうで、さらにの歴史 世界中でなぜここまで愛されたの「ハンバーガーか? アンドルー・F・スミス著、小巻靖子訳/ブルース・インターアクションズ」によると、1876年のフィラデルフィア博覧会に出店したドイツ料理店でフリカデレの「ハンバーグステーキ」が好評を博し、ドイツ移民以外にも広く知られるようになったという。そしてこのハンバーグがやがてサンドイッチとなり、ハンバーガーが完成するのである。 このことで、おわかりのように、いわゆるハンバーグステーキという名称は、この時代のドイツからアメリカの移民によって、フリカデレがアメリカでハンバーグと呼ばれるようになった!というのは間違いのない事実と思われる。
日本最初のハンバーグ、キーワードはドミグラスソースにあり
ではいったい、ハンバーグは日本にどのように定着したのだろうか? ここでもう一度、ハンバーグの定義について触れておきたい。
牛挽肉(または牛豚の合挽)、卵、パン粉、タ玉ねぎ、塩、胡椒、ナツメグ(香辛料、ハーブ)を、玉子型あるいは小判型に成形し焼き上げたもの
実は、これには定義として物足りなさがある。そう、我が日本のハンバーグには「ドミグラスソース」がかかっているのだ。日本の外食メニューの横綱「ハンバーグ」の完全形は、上のレシピにドミグラスソースを以て成すといってよい。ドミグラスソースとはフランス料理のソースなのである。ということは、日本のハンバーグはフランス料理がルーツと考えれば、答えが自ずと導かれる。
【新説】ハンバーグのルーツは横浜にあり!! ③に続く…